Michelmamaの日記

Michelは、2代目の保護犬初代はsara後悔ばかりの保護犬の里親でした

家族 玄祖父 丁髷と子供

 

   おはようございます😃

 

午前 6時。

毎朝 律儀に 鐘を撞く方がいます。

 

岩谷観音と言う、

磨崖仏 のある 所にあります。

罰当りな ガキどもは、

よじ登って遊んでおりました。

 

やはり、

お寺の 鐘なのでしょうね。

 

改めて 調べてみます。

 

この鐘の 落成式に、

104歳まで生きた 玄祖父が、

撞き初めをしました。

 

100歳を超える者が、

当時は 県に1人で、

県知事が来たり、

新聞に掲載されたり、

大変な ニュースだった様です。

 

ワタクシまだ2歳、

全く 記憶にございませんが、

新聞の切り抜きや 写真などでの

記録によるものです。

 

ワタクシにとて、

60でも 80でも 100でも、

みんな同じ年寄りでしたね。

 

栄蔵 という 素晴らしい名前に負け、

子沢山 の 穀潰し だった様で、

息子は 苦労を重ねて、

無くした財を取り戻し、

長男を 官吏にし、

56の若さで 亡くなりました。

 

逆さ縁、

御長寿が 目出度い頃、

倖せだったのでしょうか?

 

後に、

親戚達が 集まると、

100まで生きるが 合言葉でした。

 

此の玄祖父にとっては、

丁髷 を 切られた時が、

子を亡くした事よりもずっと、

ショックな出来事だったのでした。

 

曾てはそれ程、

死が 身近かで 日常だったのですね。

 

後に 供養されていない、

名も忘れられた娘が 2人 見つかったのですから。

 母の 夢枕に立ち、

毎晩 金縛りに遭って、

現存の 父の大叔母に確認したら、

妹が 2人いたと言う事でした。

 

貧しい明治の頃の、

普通の 農家の話です。

 

おしんの世界が 日常的でした。

 

此の玄祖父の 晩年の望みは、

「桜の咲く頃に 死にたい」

と言うものでしたが、

見事なまでの桜吹雪の中の、

埋葬でした。

 

ワタクシにとってのサクラは、

死と 同義語 として、

記憶に 残りましたね。

 

合掌。

 

 

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