家族 爺(じじ)ちゃん
おはようございます😃
高級官僚の方々、政治家の皆様、
公僕と言う言葉を、お忘れのようです。
ワタクシの育った家は、祖父も父も、地方公務員でした。
祖父は、昔の蚕業学校卒を自慢にしておりました。
国内で7箇所しか無い、養蚕の専門学校です。
明治37年生まれの長男。
父が56歳で亡くなってから、祖父母、母、兄弟5人、
妻、子供2人そして本人、計12人家族を支えました。
農家兼業で、食べ物は有っても、貧しい生活だった様です。
戦前は、県の官吏として上の命に従い、真面目に勤め、
今で言うファイナンシャルプランニングもし、
安定の公務員でした。
しかし、戦争が終わり、働き盛りの40代で、職を失いました。
戦犯扱いです。
上の命令で、徴兵した人たちを、任地まで引率する仕事。
人生設計全てリセット。
経緯は分かりませんが、1953年生まれのワタクシの記憶の祖父は、
県立高校の事務長をしてました。
戦後のドサクサの中、職に就けたのは、
仕事が出来たのでしょうね。
そんな祖父の読んでいた新聞は A紙、考えはリベラル。
そして、口癖は、お上の言うことは聞くな。
疑ってかかれ。新聞も、嘘を書く。
でした。
ワタクシの耳には、タコが出来てます🐙
そして、祖父の祖父 玄祖父 104歳での、大往生の日。
1960年 桜満開でした🌸